今日ほど、喜怒哀楽・・・、感情に振り回された日はない。
まず、朝のこと。昨夜、思い切り夜更かしをして、惰眠を貪っていたころ。
一通のメッセージが届いた。
わりと頻繁に連絡を取っている人からだったのだが、メッセージを開いて驚いた。
思いもしない、それもかなり重い内容だった。
気休めにもならないような返信しかできなかった。
気を取り直して、いくつか用を済ませ、午後から出かけた。
目当ては、横須賀中央で行われている「リドレ街角ライブ」 仲良くしてもらってるアーティストたちの共演。
一組、残念ながら間に合わなかったのだけど、最後の二組には間に合った。
共通の知り合いが多いので、たくさんの人と言葉を交わすことができた。 コロナ禍に一区切りがつき、戻ってきた街の賑わい、喧噪、そして音楽。 久しぶりの彼らの演奏も素晴らしく、午前中のやりとりを一時忘れられるぐらい。 やはり生の音楽は良いなぁと喜びを感じていた。 全部の催しが終わり、会場は撤収、知り合いたちと楽しく語っていたころ。
一通のメッセージが届いていたことに気付いた。
差出人は、随分と懐かしいお名前の人。 かつて何度かライブでご一緒させて頂いた方。
何事かと開いてみると、差出人は実は彼ではなかった。
彼の奥様が、彼は闘病の果てに、この冬に亡くなったことを報せてくれたのだ。 あまりにも突然の出来事に、文字通り言葉を失い、しばらく動けなくなった。
写真は、イベント最中のもの。 自分では撮った覚えがなく、帰宅してから気付いた。 たまたま間違えてシャッターを押してしまっただけのミスショット。 だけど、偶然写った写真から、空席が何か発信しているような気がした。 その人とは、同じ関東圏に住んでいながら、普段はなかなか会えない距離にいた。
2012年以来、数年に一回、何度かご一緒させてもらえる場があった。
しかし、コロナ禍のため、3年ほどイベントは延期。 先月、主催者からようやくイベントを再開させることの案内が届いた。
そこに、この間に、演奏仲間が鬼籍に入ったという報せも交じっていた。
それがまさか彼だとは思いもしなかった。
久しぶりの出演を決めた自分は、共演者の中に彼の名前を探したぐらいだった。
彼と最後に会ったのは、三年半前。2019年の10月のことだった。
キャリアも実績も十分なその人と違って、自分は少しずつ歩みを進めて来た。
その日、その人は、ぼくの演奏曲を随分と褒めてくださった。
少しは自分も成長しているのだと感じられて、とても嬉しかったのを覚えている。 その時は、まさかその後、Covid-19なんてものに振り回されるとは知る由もなく。
「では、また!」
なんて軽い気持ちで、手を振って別れた。
その日、SNSで何年か越しでようやく個人的に彼と繋がった。
その後、数度のメッセージのやりとり。 結局、それだけの関わりで終わってしまった。 先日、このブログに書いた月の夜の再会とは、実に対照的な出来事となってしまった。
心の整理ができないまま、ゆっくり歩きながら帰路に着いた。
すると今度は、先日の月の夜の彼からメッセージが届いた。
こちらは、生命の息吹の感じられる前向きな内容だった。
ざわつきが治まらない心に、少しだけさわやかな風が吹いた。
そういえば、遠くに住む音楽仲間の訃報に触れるのは二度目だ。
そのときも「So Long!(じゃあね)」という言葉がいかに軽いものか思い知ったのに。
ライブが終わった後に限らず、人と別れる時には、当然挨拶をする。
そのときに、「さよなら」という言葉を自分は滅多に使わない。
と言うか、使ったことがない。
なんだか、二度と会えなくなりそうな言葉で、響きが好きじゃないから。
高校生の頃、中国語でさよならを意味するのが「再見」だと知り。
とても良い言葉だと思ったのを覚えている。
だから、「じゃあね」とか「では、また」とか、そんな再会を期する言葉を選ぶ。
そして、その再会が果たされたとき、とても嬉しく感じる。
だけど、いつかは、その約束が果たされなくなってしまうのだろう。
去年作って以来。
何度も何度も歌っていて、何度も何度も書いてきた言葉。
「行きたいとこは行けるうちに 会いたい人は会えるうちに
やりたいことはできるうちに 何一つ残さないように
いつ何があるか分からないから 何があってもいいように
精一杯 今を生きる 精一杯 今を生きる」
またひとつ、この歌の意味が重くなった。
ありがとう、Tさん。そして、奥様。
ぼくのことを忘れずにいてくれて、連絡を頂けたことに感謝です。
来月、Tさんとのご縁を繋いでくださったイベントに行ってきます。
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