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執筆者の写真たかまつなおき

一年という歳月がもたらしたもの

昨日(5月25日)は、熊本市内にある「One Drop」という店に行ってきた。

大分県に移住してきて、初の県外遠征。

目的は、敬愛するシンガーソングライター小山卓治さんのLIVEを観ること。

熊本は卓治さんの生まれ故郷だ。

自分が熊本を訪れたのは中学2年生の修学旅行以来だから、ほぼ35年ぶり2回目。

あの時は阿蘇山とか草千里ぐらいしか訪れた記憶がなく、多分熊本市内は初めて。

大分在住のミュージシャン二人を誘って、プチドライブとラーメン巡りも楽しんできた。



そう言えば、移住先や移住に際して、インターネット上では特に触れていなかった。

今回のLIVE遠征を機に、自分の気持ちを整理しておきたいと思う。


あれは去年(2023年)の5月4日、GW最中のことだった。

コロナが五類に移行する直前、渋谷の街で再会と出会いの杯。


最初に時計の針が動いたのは、2019(令和元)年5月3日のこと。

新宿御苑で行われた「小山卓治トリビュートライヴ」

卓治さん本人も参加された超豪華なファンの集い、オープンマイク。

その場で、大分在住のミュージシャンと出会った。


卓治ファンには馴染みの方で、自分も一方的に名前は知っていた。

音楽以外に接点があるということで、主催者が自分を紹介してくれた。

その時は少ししか話せなかったので、自分は名刺代わりに自分のCDをお渡しした。

SNSで繋がり、後日CDについて律儀に感想が届いた。

自分の書く詞について、身に余る言葉をたくさん頂き、とても嬉しかった。

しかし、交流としてはここまで、その後世の中はコロナ禍へ。


そしてコロナのほとぼりが冷める頃、一通のメッセージが彼から届いた。

4年ぶりに上京するのだが、その間にもしLIVEがあるなら観に行きたいとのこと。

突然の申し出に驚いたが、とても嬉しかった。

一度しか会ってない人が、貴重な滞在時間を自分に使おうとしてくれている。


残念ながらその間にLIVEの予定はなかったが、せっかくなので一緒に呑むことにした。

その人の盟友でバンドのギタリストも一緒に上京しているとのこと。

・・・考えようによっては、危険なシチュエーションでもある。

変な壺を売りつけられたり、怪しい思想団体に勧誘されたりするかも知れない(笑)


しかし、そんな心配がないことは分かり切っていた。

例え、一度しか会っていなくても、それが僅かな時間であったとしても。

結局、共通の知人を交えて、4人で渋谷の街で呑むことになった。

この時の飲み会が実に楽しく、あっという間の3時間だった。

ほぼ初対面と思えないほど、話題は多岐に渡り、そのどれもが深かった。

歳は10歳彼の方が上だが、「同じ匂い」という言葉がとてもしっくり来た。


翌6月にその人が出張で再度上京、今度は二人で呑むことになった。

翌日に東松山でLIVE予定があった自分は、演奏の支度を整えて飲みに行った。

二人とも新宿近くに宿を取っていたので、酔っぱらったまま新宿中央公園へ。




そのときその人が撮影してくれたのが、これ。

歌の冒頭に、一瞬だけ彼の鼻歌が聴こえる(笑)


当時、自分の生き方、今後の身の振り方について悩んでいた自分は。

「きっかけ」を求めている真っ最中だった。

そして、その人との再会は、まさにその「きっかけ」だと思った。

特にその人が「大分に来い」と言ってくれたわけではないのだが(笑)


その後もメッセージのやりとりを続け、移住についても相談した。

そして、9月30(土)~10月1日(日)にかけて、大分に下見旅行。

なんと、その人の家に泊めてもらうことに。

5月にお会いしたギタリストや、友人も呼んでくれて、どんちゃん騒ぎ。

宴は深夜まで続き、ギターやピアノを弾き、歌い続けた。

まったくとんでもない話だ。


翌日も温泉含め大分~別府とドライブでプチ観光に連れて行ってくれた。

そこで、たまたま立ち寄った志高湖で運命(?)が訪れる。

ピンクのドアを見つけて年甲斐もなくテンションが上がった自分。

その人が写真を撮ってくれたのだが、スワンが奇跡のフレームイン。

タイミングを狙ったとか、加工とか一切なく最高の写真が撮れた。

この旅行を経て、自分は大分移住を決断。

人生の分岐点、記念のライブを「大・分岐点」とネーミング。

このコピーが浮かんだ時、自分が天才だと思った。

誰も言ってくれないから自分で言うだけだが(笑)


移住に当たってネックになるのは、当然仕事と住むところ。

しかし、一度本当に心を決めてしまえば、あとは何とかなるもの。

結果的にはギリギリの日程だったが、ほぼ自分の思い描いた通りの展開へ。

時代や世相というものも、自分には都合の良いものと言えた。

世の中的には決して良い流れではないと思うけど、それとこれは別。


また、長年住んできた神奈川を離れることについて、葛藤がなかったわけではない。

一度は終の棲家と考えて、根を下ろしたのだから。

だけど、そのままいたら、早い段階でその根が腐ってしまう気もした。

とにかく、心が動いてしまったのだから仕方ない。


心が動いて、自分の身が動けるならば、動けるうちに動かないと後悔する。

それが、自分の下した決断。

決して、横須賀が、神奈川が、関東が嫌いになったわけではない。


ついでに触れておくと、故郷・徳島はどうなのか?

「ふるさと問題」はずっと自分の中に存在し続けている。

横須賀に居を構えた時、一度は決めたはずだったけど。

思い描いた未来とは違った方向に進んできてしまった。

こればっかりは、自分自身だけでどうこうできるものでもなかった。


そして、やはりゆくゆくは徳島に戻りたいとも思うようになった。

だけど、それは「今」でもない。

もう少し先に延ばせそうな気がする。

ならば、その前に、自分の世界を広げておきたい。

新しい地で経験を積むことで、もっと人として成長できるだろう。


では、大分在住は腰掛けなのかと問われると、それもまた断言できない。

永住することを決めてきたわけではないが、今後そうなるかも知れない。

その可能性を否定するものではなく、とにかく自分としては。

今を精一杯生きるだけだ。

どこに住むのかということは、便宜的に所属を明らかにするだけのこと。

個人の生き方としてはどうでも良いことだとも思っている。

とても乱暴で無責任な言い方になってしまうけどね。


ただ、今の生活についてはとても満足している。

自分が決めて移住してきたのだからそうでないと困るのだけど。

職場も住まいの環境など、自分ではコントロールできないことまでも。

とても恵まれていると思う。

理髪店、居酒屋、ライブができる店、既にたくさんの良い出会いを体験できている。

だから「いつまで」などと決めず、次の「分岐点」が来るまで。

今を精一杯生きるだけのこと。


話が広がり過ぎてしまった。

とにかく、この5月のうちに卓治さんが熊本ライブを計画してくれたのも何かの縁。

去年のGWに渋谷で呑んだメンバーで、熊本まで出かけ、卓治さんに会って来た。

ぼくの移住のきっかけに、「小山卓治」という人の存在抜きに語れない。

卓治さんにしてみれば良い迷惑かも知れないけれど。

まったく知らないところで、人ひとりの人生を変える力を持つ「歌」

それを作り、届けることを生業にされてきたひとつの証と言えなくもないのでは?

なんて、勝手なことを言ってみる。

とにかく、去年と今年、誕生月である五月はとても感慨深いものとなった。


ちなみに去年作った「月兎-Our Way」という歌。

これはその渋谷での呑み会の想い出を綴ったもの。


大絶賛細々と配信中。 You Tube Music ならフルで視聴できます♪ 24Q2 Search #03 15s 16X9 0f TF (youtube.com)

歌詞はこちら。

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