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突然の訃報に際して…

  • 執筆者の写真: たかまつなおき
    たかまつなおき
  • 2024年4月5日
  • 読了時間: 3分

一瞬、質の悪いエイプリルフールだと思ったのだが、それは事実だった。


自分の音楽黎明期にお世話になった人の突然の訃報。


正確なお年は分からないけど、まだ還暦前ではないだろうか。


その日の午後までFacebookには投稿をしていたというのに。


詳しいことは分からないが、突然倒れたらしい。


彼と最後に会ったのはコロナ前、2018年の12月。


実は、先月、久しぶりに再会できるチャンスがあった。


自分の集大成と呼べるライブに、直々に声をかけさせて頂いた。


早い段階で、彼からは「行きます」の返事。


普段、自身の演奏活動が忙しく、観覧することはほぼ無い方だったので。


その返事がとても嬉しかった。


当日が近づいて、再度連絡。


その時も、来場予定ということで確認をしていた。


自分の成長した姿を見てもらえることを心から楽しみにしていた。


そして迎えた当日。


彼の姿を見ることはできなかった。


とても残念だったけど、まだ流行り病も収まりきっていなかった頃。


その他にも不慮の事故や身内のご不幸など、やむを得ない事情があったかも知れない。


来場されなかったことについて、自分から連絡をすることは憚られる。


何かあったならあったで、その後連絡が来るものだと思っていた。


それから数日後。


Facebookに彼の投稿が上がっていた。


彼のいつもどおりの投稿。


そこからは、健康や安全が脅かされていた様子は伺えなかった。


・・・正直、がっかりした。


そんな投稿する前に、するべきことがあったでしょう?


約束を違えることに何の罪悪感もないのですか?


それとも、ハナから来る気は無かったのに、自分をからかっていたのですか?


彼に対する不信感だけが募る。


文句のひとつも言おうと思えばできたけど、それすらする気になれなかった。


それをしたところで何がどうなるわけでもないから。


そして思った、もう彼とは会うことは無いだろうと。


それから一月もしないうちに、彼とは本当に二度と会うことができなくなった。


なんなんだろう、このやり場のない気持ち。


もし、あの日彼が会いに来てくれていたならば。


自分の成長した姿に、何か好意的な言葉をかけてくれていたとしたなら。


この訃報に対して、自分はどれだけ悲しみに打ちひしがれていただろう。


または直接は会えなかったとして、彼から何かしらの説明があったならば。


やはり心が締め付けられる思いであったに違いない。


だけどその実際は、驚きだけが大きく、悲しいという感情が追い付かない。


ただ、残念なのは、もう二度と彼に自分の成長した姿を見せられないこと。


それと、自分がどれだけがっかりしたかを直接伝える機会が消滅したこと。


突然、最期を迎えることになった時、彼が何を思ったかはもちろん分からない。


もしかしたら、自分の命が尽きたことさえ気づいていないかも知れない。


いずれにしても今の自分にできることは、ただ冥福を祈るだけ。


なんとも言えない複雑な感情はここしばらく収まりそうもない。


そしてまた、自分のこの想いを強くする。




行きたいとこは行けるうちに。


会いたい人には会えるうちに。


やりたいことはできるうちに。


いつ何があるか分からないから。


何があっても良いように。


精一杯、今を生きる。


精一杯、今を生きる。

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