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あのときのモヤモヤ2

  • 執筆者の写真: たかまつなおき
    たかまつなおき
  • 2023年1月17日
  • 読了時間: 5分

今回は、6歳、幼稚園時代のある出来事から。

1年しか通わなかった保育所、しかも2月はほとんど欠席。

確か、目か耳の病気が原因だったと思う。

中耳炎だったかも知れない。

とにかく、自分の言いたいことをなかなか強く主張できないまま。

小学校の敷地内に併設されている幼稚園に進学?することとなった。

幼稚園には、主に2箇所の保育園児が集まる。

その幼稚園の真横に、もう一つの保育所があった。

当然、そちらの保育所の方がメジャーなわけで、我が保育所は少数派。

全体の3割程度ではなかっただろうか。

小心者は、またここでも、集団生活にハンデを追うことになった。


・・・はずなのだが、そこまで嫌なことはなかった。

ただ、初めて経験する複数学級。

他所のクラスで、他保育所の人達とは全然仲良くできなかった。

こちらはそういうつもりはないにも関わらず。

やたらと自分に敵意むき出しの奴とかいて、凄く嫌だった。

相変わらず、気持ちは弱いままだった。


ただ、自分で言うのも何だが、賢い子どもではあった。

6歳で自分の名前の半分は漢字で書けたし、時計も正確に読めた。

ひらがなカタカナは当たり前で、簡単な漢字ならある程度読めて。

新聞のテレビ欄も、自分に必要な情報なら読み取れた。

例えば、「ドラえもん」が何チャンネルで何時何分から放送されるか、とか。

(上下逆さまでも読めたから、相当賢かったと思う。

 しかし、時々人の話を聞いていなくてヘマもしでかした。

 人の話を聞いていないのは、今も変わらない…)


言葉を覚えてからはよく喋ったし、6歳時にしては何でもよくできたから。

先生達からはよく可愛がられた。

可愛がられた、というとなんだかイヤな感じがするな。

そう、周りの子ども達からしたら、「鼻につくやつ」だったと思う。

同じクラスの子たちとは余りトラブルになった記憶はないけど。

(他のクラスの子とも表立ったトラブルには至らなかった。

 ただ、一方的に嫌われている感はあった)


前置きが長くなったが、ここで書きたかったモヤモヤは。

実は、一方的に敵意をむき出しにしてきた同級生のことではない。

とても自分を可愛がってくれた担任の先生の対応について、である。


遠足で、空港に行った。

帰ってきて、そのときの思い出を絵に描いた。

よくある教育活動である。

そこで、ぼくは飛行機の絵を描いた。

正確には、展望デッキから飛行機を見学している自分達の絵。

横にした画用紙の中央に、生まれて初めて生で観た大きな飛行機。

手前に、柵を描き、後ろ姿の幼稚園児4名という構図。

子ども達は4人とも後ろ向き、顔は描かれておらず手は全員横に広げている。

まぁ、6歳の子どもならそんなものだろう。

しかし、子ども達の間に、柵の鉄パイプの見える部分だけ描いている。

その奥の飛行機も、幼稚園児にしては立派に描けていたと思う。

何より、6歳児の絵として特筆すべきは、「奥行き」を捉えられていたこと。

自分で言うのも何だが、絵に重なりや奥行きを出すというのはかなり高度なこと。

もちろん、当時の自分がそこまで意識していたはずもないけれど。

とにかく、自分の絵の出来にはかなり満足していた。


しかし、その後、どの時間帯だったか忘れたのだけど。

先生が、ぼくのその絵を直しているのを見てしまったのだ。

先生は、無言で、ぼくの絵の、人の手の部分と、柵の端の部分を修正していた。

すごくショックだった。

そこの部分が雑な塗り方になっていたことに、初めて自分で気づいた。

無言で直されていたことで、余計その絵にダメ出しがされた気分だった。

先生が、ぼくがその様子を見ていたことに気づいていたかどうかは分からない。

だけど、ぼくは黙々とぼくの絵を直す先生の後ろ姿を見ることしかできなかった。

「やめて」や「いや」ということはもちろん言えるはずもなく。

それどころか、先生の顔を見ることすらできなかった。

やがて、手と柵はしっかりと修正された。


後日、どうして先生がその絵を直したのかが分かった。

ぼくのその飛行場見学の絵は、何かのコンクールで入選した。

よく覚えてないけど、立派な賞状を頂いた気がする。

きっと、先生はぼくのその絵を充分に評価してくださっていて。

そのコンクールに出展することを決めてくれていたのだろう。

そして、そのために、雑で残念だった部分を修正されたのだろう。

きっと、先生はぼくのために、良かれと思っての行動だったと思う。


入賞の知らせを聞いて、ぼくは、多分、それなりに喜んだとは思う。

だけど、100%自分の力で描いていないその絵の入賞。

先生が、勝手に直してしまったその絵での入賞は。

子ども心に、なにか釈然としないものがあった。

今の子ども達の言葉で言えば「チート」というのだろうか。

先生の修正が入った絵で入選は、反則だと心の中で思っていた。

だけど、もちろん、そんなことを口にすることなどできなかった。


この出来事については、少し前、実家で入選時の写真を見つけた時。

40年ほどの時を経て、初めて家族に伝えることができた。

繰り返しになるが、この先生は、とてもぼくに良くしてくださった。

単にぼくが優秀でえこひいきをしてくれたというのではない。

どの子にも優しく、笑顔で接してくれくださった。

だから、今更この先生のしたことを責めるつもりはない。

先生の行為を人目にさらすことで、溜飲を下げるというつもりでもない。

ただ、あの日のモヤモヤ。

いや、あの日だけでなく、それ以降も、心のなかにあった蟠り。

それをすっきりさせたいだけのこと。


ぼくは。

自分の絵は、自分の力で直したかった。

駄目なところを指摘してもらって、どうすれば良いか助言してほしかった。

もしかしたら?

絵を描いている最中に、もっと丁寧に塗るように言われていたかも知れない。

だけど、めんどうくさがって(子どもにはよくあることだ)、自分が拒否したかも。

さらに、もしかしたら、後にも再三直すように言われたかも知れない。

さすがにその記憶はないのだけど、今となっては確かめる術はない。

そもそも、自分に都合の悪いことは忘れるものだし、しかも40年以上昔の話。


でも、いずれにしても、自分の絵を黙々と直されている場面。

それを目撃してしまったのは、やはりショックだった。

せめて、ぼくの気づかないところで、やってくれていたら、とは思う。

ましてや、そのチート作品が入選してしまった複雑な感情。


これは強烈な記憶として残っているから。

自分が図工を教えている時、勝手に児童の作品を直したことはない。

当然と言われればそれまでの話だけど、自分にとっては大事な記憶。

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