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執筆者の写真たかまつなおき

夢色2Days


2024年10月12日(土) 18:15~ 祝祭の広場 夢色ミュージックコンテスト


 本選10組に選ばれて、全体の2番手で出演。

 8月18日の二次審査を通過して以来、いかに表現力を高めるか、そればかり考えていた。ひらめきを感じる度に、オープンマイクやライブで積極的にアイデアを試しブラッシュアップしていった。今は平日に練習ができないので、自己啓発の類の本を読み漁り、心を磨き直した。そして、これまでに共演したりお世話になったりした方々を思い起こし、力に変えていった。

 夢音本選の時間帯は冷え込むという助言を受けたので、「タカと松でたかまつです」のスカジャンを衣装に選択。ただ、思った以上に気温が下がらず、少し暑かった。でも、それはありがたいこと、文句は言えない。中のTシャツとスニーカーは、山下くんのデザイン。ネックレスはMasatooon作、いろんなところに力を借りた。

 会場には、大分に来て知り合えた音楽関係者がたくさん、自分を大分に引っ張ってくれた大恩人もいる。何より、高校時代の恩師がわざわざ徳島から応援に駆けつけてくれた。その恩師をしたって、宮崎から来てくれた方も。

 2番手という出順は、二次予選の時にひいたくじ引きで決まった。リハーサルからの間隔が短く、早く出番を終えて後の人の演奏を楽しむことができるのは大きなメリット。リハーサルが押して、開演時刻が迫っていたので、「チェックの歌ショートバージョン」で早い進行に協力。それでもステージから見た会場の様子を写真に収めることができ、自分でも心の余裕を感じることができた。



 さあ舞台は整った。

 転換中に前の演者のインタビューが行われるのだが、これがいつまで続くか分からない。心を整えるために客席に背を向け、神経集中。タカと松の刺繡もさりげなくアピール。

 MCの方による紹介が終わって、いよいよ自分の出番。

 ほぼ満席の客席。推定500人以上。あの瞬間、彼らの時間は自分のもの。「今を生きる」は初めての方にも分かりやすい、ど真ん中のメッセージソング。ギター一本、音数が少ない分、いかに言葉を伝えるか。

「平日は教壇に、休日はステージに、やりたいことはできるうちに。

 ティーチャーソングライター、たかまつなおきです」

 お決まりの口上を述べて、演奏開始。落ち着いている。客席もよく見渡せる。審査員3人がそれぞれの表情でこちらを見ている。よく頷きながら聴いてくれている人もいる。音や声の強弱、発音の明確さを意識して、歌い、ギターを弾く。最後まで思い通りの演奏ができた。聴いてくれている人達に、きっと届いた。そんな手ごたえがあった。

 演奏後のインタビュー。自分の番になると、次の出番の人のことなどまったく気にならないものだ(笑) スカジャンのこと、恩師のこと、グランプリになったときのことなど、淀みなく話すことができた。審査員のコメントもあった。歌詞がこの先進化すると言われた。確かに歌は成長していくもの。そんなときも来るかも知れないが、その瞬間は自分の歌詞にケチを付けられたようで良い気持ちはしなかった。

 自分の出番が終わった後は、リラックスタイム。後の演者の素晴らしい演奏を楽しませてもらった。コンテストという場ではあるが、これは「夢色音楽祭」なのだ。普段なら触れることのないジャンルの音楽を聴くことができる。どこにどんなアイデアがあるか分からない。これは二次審査の時もそうだった。中には自分の出番が終わると早々に会場を後にしたり、自分の出番の直前になってから会場に現れる人もいた。それぞれ事情があるのかも知れないが、他の人の演奏を聴かないのはとてももったいないことだと思う。他の演者と馴れ合いをする必要はないが、他人のパフォーマンスはヒントの宝庫だ。

 全員の演奏が終わり、審査タイム。去年のグランプリ受賞者によるパフォーマンスがあった。去年の参観者から、「レベルが違った」と聞いていたのでとても楽しみにしていた。女性のギターボーカルに男性キーボードという珍しい組み合わせだったが、グルーブ感などは確かに見事だった。

 そして、審査発表。前半5組が前列、後半5組が後列に並ぶ。前列にいられるのは美味しいと思っていた。準グランプリ、一組目の発表。失礼だがちょっと意外な選考だった。もう一組、準グランプリ。ここで二次審査の時から誰もが一目置いていたラッパーの方が受賞。彼が先の呼ばれたことで、正直、自分の名前が次(グランプリ)に呼ばれると思った。その瞬間、どんなパフォーマンスをするかまで考えていた。


 しかし、呼ばれたのは自分のではない楽曲と演者名だった。


 泣きそうになりながら喜んでいる姿に対して送った拍手は、もちろん素直に祝福するものだったけど、まぁ、何とも言えない感情。グランプリの旗や盾を受け取っている姿の後ろにいる自分。こうなったら前列にいることの意心地が悪くてしょうがない。祝福の写真の背景に写り込む敗者として、ずっと残っていくのだろう。

 審査発表の前に、審査結果が曲の優劣をつけるものではないと審査員が申し訳程度に言っていたけど、それはある意味正しくて、それはやっぱり違うだろう。明らかにされていないが、審査基準がある以上、受賞者は何かが上回り、その他の者は何かが及ばなかった。

 自分としてはこれ以上ないパフォーマンスで勝てなかったということは、そもそもノーチャンスだったのか。心残りはないが、悔しさはある。「無冠の帝王」なんて言葉もあるが、やはり無冠では帝王とは言わないだろう。応援に駆けつけてくださった恩師が「自分にとってはたかまつがグランプリ」と仰ってくださった(応援している人はみんなそう言うだろうが)。帰りがけ、自分の側を通りがかった審査員の方が労いの言葉をかけてくださった。しっかり聴いてくださったことに対してお礼が言えたのは良かった。(今思えば、自分の課題とか改善点を尋ねれば良かったとも思うが、それは野暮な質問というものだろう。自分で気づけないようでは駄目と言われるのが関の山だし、そんなこと言われたら傷ついただけなので、やっぱり聞かなくて良かったのだ)

 どちらも大変ありがたいことなのだろうけど、やっぱりタイトル(実績という言葉にも置き換えられる)は欲しかった。

 その反面、無事に本選を迎えられたことを大変ありがたく嬉しく思う自分もいた。天気も良かったし、会いたい人にたくさん会えた。昼間、恩師と合流してランチを食べて、初めての夢色音楽祭の会場をいくつも回ってみた。街をあげての大きな音楽のお祭り。大分に移住して半年。各会場や道端で実にたくさんの人と挨拶を交わすことができた。無事にあのステージに立てただけで、半分成功したようなもの。音楽のおかげで、自分のサードプレイス(自宅と職場以外の居場所)が実に充実している。そんな中、ベストパフォーマンスができたことは、誇って良いとも思えた。


 そして、すぐさま次の目標ができた。


 それは、早速来年のコンテスト参加に向けて・・・ではない。(今後のコンテスト出場については、何とも言えないところ)


 翌13日に、今度はみゅーじふる・たうんという街角ストリートライブを控えている。その場で、「昨日の自分を超えること」を目標にした。つまり、ベストパフォーマンスできたばっかりの「今を生きる」を超えることだ。


 恩師と二人で祝勝会ならぬチクショー会、完敗で乾杯。あれこれ話題は尽きないが、翌日もあるので恩師と別れて電車に乗り、あわや寝過ごしそうになりながら帰宅した。



2024年10月13日(日) 14:00~ 府内五番街赤レンガスクエア


 朝、家を出て、少し遠回りして、前日にバッチリ髪型を決めてくれた理容師さんに敗戦のご報告をしてから駅に向かう。前日、関東で応援してくれている人達にも何人か直接報告させてもらったけど、応援してくれた人の期待に応えられなかったことが、やはり残念だ。

 11時過ぎ、大分駅で恩師と高校の先輩と落ち合う。自分と同じく、恩師が元担任ということで、わざわざ福岡から応援に駆け付けてくださったのだった。

 大分駅前で行われていた別イベントの露店で軽く腹を満たしてから、12時のお目当てのグループの演奏を観に行った。それから自分の受付を済ませ、恩師とそのお友達(大分在住と)先輩と四人でお茶をして出番を待つ。この時入ったのが、大分銀行の赤レンガ館にあるカフェ。自分の出演するステージは、この建物の横、同じ敷地内である。


 自分には、神奈川在住時代に叶えられなかったひとつの目標があった。それは、横浜赤レンガ倉庫にあるホールで歌うこと。今はもうチェックもしてないが、コロナ禍よりも前、島村楽器主催のアコパラというコンテストの全国大会の会場が、その赤レンガ倉庫だったのだ。目標を実現するに最も手っ取り早い方法として、毎年そのコンテストに挑戦してはエリアファイナルさえ進めない状況が続いていた。だいぶ手応えを感じていた2020年、コロナで中止となってしまった。それ以来、目標は具体的でなくなり、ぼんやりした夢へと変わってしまっていた。

 それが、何と夢色音楽祭では、赤レンガをバックに歌えるというではないか! 経験者の方々に言わせると、ここは立地的にも音的にもかなり良い場所だという。時間も場所も自分で決められることでないので、巡り合わせに実に感謝。巡り巡って夢が叶ったと、MCのネタにすることにも繋がった。

 本番前の音出しで、チェックの歌(フルバージョン)で自己紹介。会場付きのスタッフに「一曲多い」と笑われたが、屋外のイベントでチェックの歌は、自己紹介(宣伝)とサウンドチェックができて一石二鳥。もともとは、岡本主任が似たようなことやっていたのを、自分なりに真似してみたのが始まりで、自分が編み出したことではないのだけど。

 時間が少し巻いていたので、13時58分からスタートさせてもらった。


 簡単な自己紹介をして、のっけは「今がそのとき」。今回は、普段の30分枠のステージではあり得ないほど、濃いセットリストにしてみた。少しでも聴いてくれる人に印象を残したい。客席には、知り合いと、初めて見るお顔が半々ぐらい。徐々に席は埋まっていき、最終的には用意された椅子は全員が座ってくれていたんじゃないだろうか。始終立って観てくれている人もいた。

 続いての曲は、「情熱の青

 横須賀の海を見ながらできた歌として紹介、三浦半島から四浦半島のある大分へという小ネタも挟んでの熱演。ただ、どうも喉の調子がイマイチ。昨夜の一曲だけで喉が潰れるなんてあるはずがなく、どうやら直前に飲んだコーヒーのせいのよう。しまった、ステージドリンク(かぼすドリンク!)をカバンの中に入れたままだった。もう、このまま突っ切るしかない。最後、4小節、15拍のロングブレスも何とかなった。(何より、この歌を唄ったのは9月21日(土)の横浜ライブ初日以来。もっと練習しろ)

 続いて、当初の予定と変更して、「月兎ーOur Way

 自分の大分移住の分岐点となった、渋谷での呑み会が元になって生まれた歌。その時の再会の張本人がその場にいてくれたのだけど、その後のご自身の出演準備のために途中までしかいられないということで、急遽変更。途中のアルペジオの時、ピックが上手く掌に収まらなかったので、敢えてピックを地面に落としてプレイを続行。(撮影して頂いていた映像から白いピックが落ちるのが確認できる) いちいち、そんなことに動じてはいられない。

 ここまで駆け足で歌ってきて、時刻を確認すると14時11分。これならもう1曲追加できるので、MCを挟みながら後半の構成を考える。話のネタは、先述の「赤レンガの夢」についてと、「徳島出身の高松です」の自己紹介ネタ。ティーチャーソングライターについては今回は敢えて触れなかった。演奏と共に、徐々にお客さんが増え、椅子席はほぼ埋まっている。いろんな演奏仲間を梯子しながら見て回っているミュージシャンは仕方ないにして、一般のお客様が席を離れずずっと座って聴いていてくださるのが大変ありがたい。

 「赤レンガの舞台で歌えて、実行委員の皆様ありがとうございます!」などと、思いきり忖度したMCをした後に、雰囲気をがらっと変えて歌ったのが「ゴロワーズを吸ったことがあるかい?って聞かれたけどなかったからゴロワーズを吸ってみた」 当初、予定からは外していたこの歌だけど、やはり歌っておくことにした。

 そして、現時点で最新曲の「五月の風

 まだまだ発展途上の歌なのだが、だからこそ、表舞台で育てておきたいと思った。アプローチの仕方はまったく異なるが、実はテーマは「ゴロワーズ~」と同じ。だから、当初の5曲予定では、「ゴロワーズ~」の代わりにスタメン起用を決めていたのだった。結果的に両方演奏する時間が生まれて、大変良かったと思う。一か所、誤った言葉が口をついて出たのだけど、気付いた人はいるまい。

 ここまで歌い終えて14時22分、まだ少しだけ時間に余裕があったので、最後のMC。昨夜グランプリを取れなかった「今を生きる」について。「コンテスト第4位だった…と勝手に思っている」のMCは意外と受けたので今後も使うことにしよう。

 そして、「昨日の自分の演奏を超える」目標を公言してから演奏開始。「祝祭の広場」の大きなステージと違って、お客さんとの距離が近い分、眼鏡が無くてもみんなの表情や反応がダイレクトに返ってくる。ラスト、サビの繰り返しの部分「ご一緒に」でシングアウト。身内だけでなく、初めて見るお方の口も一緒に動いている。お客さんの反応を見る限り、前日よりメッセージが届いた、そんなふうに感じたのは自分に甘いからだろうか?


 とにかく予定通り、いや予定以上に密度の濃いステージを無事に務めることができた。振り返って時計を確認したら、14時29分。持ち時間を最大限有効利用しての、ほぼ完璧なステージ。(実質2分おまけの31分演奏) これだけの演奏ができたのは、やはり遠くから近くから、わざわざ自分を観に来てくれた人達、そしてたまたま足を止めて聴いていってくださった方達。何より、運営に携わってくれたスタッフのおかげ。天気にも恵まれたし、満足感に浸って片づけをしていたら、さらなるご褒美が。

 知らない人が何人も声をかけてきた。昨夜のコンテストで自分の演奏を聴いて、わざわざチェックしてこの場を選んで来てくれた人たちもいた。中には、「グランプリは2番(たかまつのこと)か、7番(準グランプリのラッパー)か、絶対どちらかだ」思ってくれたそうで。どちらかでなかったら『頭を丸める』なんていうメッセージのやりとり友達としていたことを明かしてくれた。いやいや、どんな話の流れでそんなやりとりになるんだよ?って突っ込みはしなかったけど、個人的な音楽の趣向でグランプリ受賞はぼくの方を願っていたと言ってくれたのは、大変嬉しく励みになることだった。身内でない、まったくの初対面の人にグランプリ受賞を確信させるパフォーマンスが自分にはできたのだということ。

 別の人からは、「たかまつの楽曲をラジオでオンエアしたい」という申し出を頂いた。具体的に話を聞いたけど、断る理由はない。しかも、その方の選曲が実に意外だった。このことについては、そう遠くない時期に具体的な発表ができると思う。

 他にも、恩師にライブの感想を熱く語ってくれた年配の方もいた。そんな風に直接感想を伝えてくれた人が全員ある年齢以上の男性だったことがやや残念?ではあるけれど、性別や年齢関係なく、伝わる人には自分のパフォーマンスが届いたのだと信じたい。大きな、大きな励みとなった。こうして、自分の二日間は劇的に幕を閉じたのだった。


 ・・・いやいや、まだ夢色音楽祭は終わってない。自分の出番は全て終えて、肩の荷が下りた。(と言うほど背負い込んでたものはないが) 恩師と先輩とで祝祭の広場に移動して、リラックスタイム。自分はビールをフライングゲット。

 お目当ての時間が迫り、大分銀行ポケットパークへ移動。自分を大分に導いたイチロー氏のバンド、「深夜特急~大分発浜田省吾トリビュート~」 実は、恩師とそのお友達は、大の浜省ファン。だから、どうしても恩師と恩人には会って頂きたいと思っていたし、深夜特急の演奏も聴いてほしかった。

 かつては夢音の常連だった「深夜特急」も、5年ぶりの出演とのこと。スタジオ練習にも何度か顔を出させて頂いたのだが、本番のステージは本当に素晴らしく、見事なパフォーマンスだった。自分も拳を突き上げての一緒に盛り上がった。終演後、これまた意外な人が自分に声をかけてきた。音楽を通して人との繋がりがどんどん広がっていく。


「西洋音楽発祥の地」大分はなんて素敵なところなんだろう。


 恩師とそのお友達と先輩とで駅前の店で打ち上げ。恩師は前日の11日から大分に来ている。カンタループでのオープンマイクから合流。それまで一緒にいたそのお友達は、カンタループの渕野さんのことをよくご存知ということで、本当に世間の狭さに驚いた。そのお友達の方には、ぼくとも共通の知り合いが何人もいて、お互い驚いた。

 それにしても、楽しい時間は本当にあっと言う間に過ぎていく。そしてまた一つ増えた想い出の宝物が、人生を豊かなものにしてくれる。この記憶があるから、また明日から元気に頑張っていける。

 18時43分のソニック号で先輩を見送り、自分は恩師の車に乗せてもらって自宅近くのファミレスへ。ドリンクバーで頭を冷やしながら、さらに恩師と語り合う。

 考えてみれば、自分が大分に来るきっかけのきっかけのきっかけを作ったのは、紛れもなく目の前にいる恩師だ。恩師は「たかまつのおかげで、古い友人に会うことができて、教え子とも再会できて、こんなに素晴らしい街で最高の時間が過ごせた」と言ってくれる。

 だけど、その種を蒔いたのは紛れもなく先生ご自身。貴方が高校生の自分に「今を生きる」という言葉を教えてくれたことが、30数年の時を経て花を咲かせたのだと思う。感謝してもしきれない。


あらためて、強くこう思う。


「行きたいとこは行けるうちに

 会いたい人は会えるうちに

 やりたいことはできるうちに」

(by 今を生きる)


そして、こうとも思う。


「だからあのとき

 思い切って一歩踏み出した

 自分を 今でも 褒めてやりたくなるんだ」

(by 今がそのとき)


 どんなにSNSやインターネットが発達しようとも、最終的にものをいうのは、実際に自分の足で出向いて行って、リアルに対面すること。

 夢色音楽祭を通して、文字通り自分は夢色に染まった二日間だった。そして


「まだまだこれから もっともっとこれから

 遅すぎるなんてことはないから

 思い立ったときこそ、そう!

 今がそのとき」

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