幼い頃、自分の意思をうまく伝えられなかったことがたくさんある。
それは、幼い頃に限らないのだけど。
うまく意思を表示できなかったり、或いは本心とは異なる行動をしてみたり。
きっとそれらを「後悔」というのだろう。
今更、それらをどうこうできるものではないのだけど。
今の自分なりの気持ちを綴ることで、少しすっきりする。
そんな気がしたのも、ブログを立ち上げた一つの理由。
1つ目のモヤモヤエピソード。
5歳のとき、1年間だけ保育所に通った。
自分の生まれ育った地域では、保育所は2〜5歳。
6歳の1年間だけ幼稚園というのが就学前の児童の居場所だった。
保育所は、一つの小学校に対して2つ。
どちらも、公立だったと思う。
自分は、保育所では年長組となる5歳のクラスから通った。
自分の意思ではないから、通わされたという方が実のところ。
当然のことだが、5歳からということは、編入のような感じになる。
それ以前に通っていた者達には、既にコミュニティがあり。
後から入ってきた者より、生活にアドバンテージが有る。
自分は、そこで始めて集団というものを学んだ。
長年教師をしていたこともあって。
「人見知り」というと、ほとんどの人に信じてもらえないが。
自称「人見知り」は、この保育所通所時に形成されたと思う。
既存のコミュニティには、ボス的なやつがいて。
新参者に対して辛く当たるというのは、4歳や5歳でも当たり前にあった。
集会室には、トランポリンがあった。
自分は、その魅力的な器具で遊びたかった。
しかし、自分が通所さえてもらえる時間帯は比較的遅く。
いつも、そのトランポリンは誰かが既に占拠していた。
自分は、そこに「入れて」ということができなかった。
拒絶されることが怖かったのだ。
また、大人、特に先生と呼ばれる人種は絶対的な存在で。
言うことはすべて正しく、逆らってはいけない。
そんなふうに、教え込まれた。
そんな家系で、それが自分の「当たり前」だった。
そんな自分が、一度だけ、保育所を脱走しようとしたことがあった。
自分の通った保育所は、なぜだか、公園の中にあった。
柵で囲まれた保育所の敷地の外側に、公園があると言っても良かった。
いずれにしても、柵の内側にも外側にも遊具があった。
しかし、大好きなブランコは、柵の外にしかなかった。
ある日の自由時間、自分はどうしてもブランコに乗りたかった。
ぼくは金網をよじ登って保育所から脱走しようとした。
しかし、上まで登ってぐずぐずしているところで。
先生たちに取り押さえられた。
先生たちが「悪い子」と言った言葉にひどく傷ついた。
自分はブランコで遊びたかっただけなのに。
柵の中にもブランコがあれば脱走なんかしようとしなかったのに。
柵の外にブランコなんかなければ、そんなことしなかったのに。
言いたいことは山程あった。
しかし、先生たちは何故自分が出ようとしたのか聞いてくれなかった。
物凄く怒られたわけではないが、とても悲しかった。
こんな出来事をふと思い出してしまった。
加速的に過疎化が進む故郷では、もうその保育所はない。
過疎化が進んでいるくせに、公営住宅になっている。
ここに来て、ふと、遠い記憶が蘇ってきた。
あのとき、自分は外に出ようと思えば、出られたはずだ。
その体力は充分にあった。
外に出たいと思いつつ、心のどこかでブレーキをかけていた。
出てしまったら、とても怒られると思ったのか。
出る前に、止めてほしかったのか。
或いは、悪いことと認識していて、それを破りきれなかったのか。
いずれにしても。
反乱を起こしながら、遂行できなかった半端な自分。
もちろん、5歳児に何ができるわけではないけれども。
あのときの中途半端さのまま大人になってしまったように思える。
後悔・・・なのかも知れない。
あのとき、ブランコまでたどり着いていれば。
怒られたとしても、自由にブランコを漕ぐところまでできていれば。
今更どうしようもないことに、思いを馳せてみる。
やっぱり、一番悔しいのは、理由を話せなかったことのようだ。
人間の言動には、必ず理由がある。
目に見える行いと、その元となる内面。
大人と子どもだけでなく。
誰に対しても、心の内面に寄り添える人間でありたい。
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